下請けに頼らないフリーランスの生き方(1)

まず私そうますずよの自己紹介というか経歴をお話しさせていただきますね。

1973年1月生まれの45歳。家族は夫・小5の娘・小3の息子の四人家族。
千葉県船橋市で生まれ、小学5年生の終わりに千葉市に引っ越し、検見川→稲毛と千葉市内で20年間住んでから、14年前にまた船橋市に引っ越して、今もそこに住んでます。

高齢の両親(父は大正15年、母は昭和6年生まれ)のもとに生まれた一人っ子で、小さいころはのんびりというかおっとりとしたドンくさい子でした。

勉強があまり得意ではなかったこともあり、小学生の高学年の頃には「私に事務は向かない。美容師になる。」と言い出し、母の白髪を市販の薬で染めたり、美容師さんの見よう見まねで出かける母の髪をブローしたりしていました。

私の小学生時代は、松田聖子さんの【聖子ちゃんカット】が大流行した時代で、くるくるドライヤーが発売されて、みんながこれで顔の周りを外ハネにして聖子ちゃんの髪型をマネしていました。

でも私は「私は美容師になるんだから、くるくるドライヤーなんて便利なものを使うんじゃなくて、ちゃんとドライヤーとロールブラシを使ってブローが出来るようにならなきゃ!!」と思い、ファンシーショップで売ってるプラスチックのロールブラシと700Wくらいのしょぼいドライヤーで一生懸命ブローを頑張ってました。

↑こんな頃からストイックな職人気質だったんですね~(笑)

そして中学の進路相談で美容学校に進学しようかと思っていたのを「高校くらいは出ておけば?」という母の一言であっさり高校進学を決め、勉強が得意ではなかったので偏差値の低い高校ですが、なんとか県立高校に進学。

高校では気心の知れた友人たちと好きなことに没頭する3年間で、この時に「好きなことを楽しんでやる」という感覚が身についたのかもしれません。

この頃からとある事情で衣裳を作ることが増えました。服飾の知識なんてないので想像で立体的に作り上げる無謀なつくり方ですが、何とか形にはなるので何着も作った記憶があります。

↑まさかこの時のことが大人になって役に立つとは思いませんでしたけどね。

そして進路の際に昔からの美容か、高校で見つけた服飾かどちらに進もうか悩みましたが色々と考え、高校を卒業して美容専門学校に進みます。

当時は1年制だったので専門学校を卒業すると学科の試験を受け、1年間のインターン(美容室での勤務)を経て、実地の試験を受けて合格すると美容師免許がもらえる仕組みでした。

ただ、あまりに高齢な先生たちが多く、2学期には別の授業をするから教材を追加で購入しろとか、いろいろ目について、1学期で美容学校を辞めようかとも思ったんですよね。

残りの日数はバイトしてお金貯めたら、来年違う美容学校に行こうかと思ったくらいです。

そんなことを漠然と考えていた1学期が終わるころ、クラスメイトに声をかけられ、あるメイクスクールを見学しに行きました。

そこは口コミや紹介じゃないと申し込めないメイクスクールで、一切広告などを出さないのに生徒が途切れないスクールだったのです。

フランスで修業し、パリコレやテレビ業界でメイクをしていた先生が一人で教えるスクールは、

他の大手のメイクスクールでは教えてくれない素晴らしい技術が身に付くスクールでした。

今でも私はあの先生以外に「すごい」と思う人には出会っておりません。後から考えるとこれが大きな転機だった気がします。

美容学校時代はワインディングが苦手で(笑)得意なものはオールウェーブ。

あと、2学期が丸々日本髪の授業だったのですが、それが楽しくてほかの人よりきれいに作れてる自信がありました。(追加の教材購入に文句を言ってたクセにねw)

↑これがまた今に生きています。ホント、人生に無駄は無いんだなと思いますよ!!この頃からセットの方が好きだったみたいです。

卒業後は学校の紹介で亀戸にある美容室に勤務しましたが、この美容室は3か月ほどで辞めてしまいました(^^;)

というのも、新人研修としてある化粧品会社の研修に行かされたのですが、栃木あたりの施設に3日間カンヅメにされ、そこでマッサージなどを何度も練習させられたことで肌のトラブルが起きました。

でも研修が終わって美容室に戻ると、店販で扱っているその化粧品を「研修で覚えたセールストークで売れ」と言われるのです。

私からすれば、自分の顔がヒリヒリして良いとも思ってない化粧品を売れるわけがありませんし、いくら完璧にセールストークを覚えたって、気持ちが入っていないんだから当然お客様も買いません。

なのに店長や先輩からは「頑張って売りなよ」と言われる始末…。「そうですね~」と作り笑顔をするのも嫌になり、あっさりと辞めました。(もちろん親に相談して承諾は得ましたが)

そこから半年ほどブラブラし(笑)、いい加減働かないと…と思ってメイクスクールの先生に相談すると、ある美容室を紹介してくれました。

そこは全国に80店舗以上ある大手の美容室で、ひとまず自宅から通える範囲という事で、千葉駅の駅ビル内にある美容室に努めることになりました。

ここは古い店という事もあり、シャンプー台も手動だったり、パーマの材料も時代遅れなものが多く、一瞬「この店に入って失敗したかも…」と思いました(笑)

というのも勤続年数が長い人が偉いという価値観で、店長のワンマンぶりがすごい上に、スタッフは全員店長のご機嫌を取りながら仕事をしている店だったのです(><)

駅ビルという立地もあり、夕方になると店長はどこかへ消えて行き、営業時間が終わる20時頃になると内線電話がかかってきて「〇〇にいるからみんなおいでよ~」と副店長に伝言します。

副店長は[顔出さないと店長が不機嫌になるからとりあえずみんな行って。すぐ帰っていいから」というので言われて店に行くと、店長はすでにご機嫌。

そう、店が暇になった夕方から上の飲食店街で酒を飲んでいるのです。もちろん常連なので、店員さんたちからは「店長~(^^)」と慕われています。

スタッフの中には千葉駅から先のローカルエリアから通っている人もいたので、電車の時間もあって先に帰ると「そんなすぐに帰るなら、来なきゃいいのに」と管を巻きながらつぶやく店長。

…もうね、何度怒鳴ってやろうかと思いましたよ(笑)

「あんたが来いって言ったから来たんでしょう―が!!みんなそれぞれ事情があるんだよ!わがまま言ってんじゃねー!!」ってね。(笑)

でもさすがに当時の私は19歳。

店長は45歳くらいで男勝りな人で、営業中もアシスタントが間違えたロットを出すと、放り投げるくらい乱暴な人だったので何も言えませんでした。

結果的にこの店は半年ほど勤務しましたが、最後までこの環境になじめませんでした(><) とどめはやはり、酔っぱらった店長の一言でしたね。

当時、私の父はガンを宣告され、仕事も出来ずに入退院を繰り返す状況。そんな事もあって、「もうちょっとお金を稼ぎたいから店を辞めたい」という理由で店長に話をしたんです。

そしたらなんと「そんなにお金が欲しいんだったら、そこらへん(風俗街が近くにあるんですよ)に行って身体売ってこいよ。20万とかすぐに稼げるだろ」と言われて。

その時は悲しさと怖さで何も言えずに涙ぐんだのですが、帰宅して父に話したら大激怒!!

「そんな非常識な店長のいる店なんて今すぐ辞めて来い!!」

…まあそりゃそうですよね(^^;)今だったら、セクハラかパワハラで裁判沙汰です。

後日シラフの店長ともう一度話しましたが、「この店でお前が学ぶことは何もないのか?」と聞かれたので、「はい。この店で私が学ぶことはもう何もありません」と言って辞めることが出来ました。

↑これを堂々と言う19歳もすごいですね。今思えば(^^;)

でもそのあとはしばらく悩みましたね~。一年間で2つも美容室を辞めてしまったので、「私は美容師に向いていないんじゃないか…。あんなに小さいころから美容師になるって言ってたのに…」とモンモンとしてました。

でも、今こうやって思い返すと、やっぱり私は理不尽な環境が嫌いみたいです。「先輩だからいう事を聞け」「先輩がやってきたんだからお前もやれ」みたいな考え方には全力で反発するタイプでして。だから私、体育会系のノリって付いていけないんです(^^;)

「先輩のいう事には絶対服従」みたいな状況は納得しませんし、自分が納得できない事だと「それはおかしい!!」と吠えまくります(笑)

それもあって、人に教える立場になった今も、いろいろな勉強は続けています。

プロになる人や、経験のあるプロに教える以上は、その人が「かなわない!!この人すごい!」と思えるような技術がないと、教えてはいけないんじゃないかと…

…長くなってしまいました(^^;) 明日は運命の職場に出会ったお話をしていきますね。

関連記事

  1. 下請けに頼らないフリーランスの生き方(3)
  2. チャンスの神様は前髪しかないって本当なんですよ。
  3. 七五三・成人式・卒業式など記念日のお支度&撮影
  4. 少人数制 最大4名までのレッスン
  5. ヘアセットの一番大事な基礎が通信講座で学べます
  6. 下請けに頼らないフリーランスの生き方(4)
  7. 下請けに頼らないフリーランスの生き方
  8. ヘア・メイクサロンSo-magicの実例ブログ
PAGE TOP